夫の単身赴任が始まってから、約4ヶ月。 「単身赴任」と言いながらも、実は自宅から1時間ほどの距離でした。 「意外と近いね」と言われることもありましたが、実際に行ったり来たりする生活は、想像以上にタフな「時間と距離との戦い」でした。
「物理的な重さ」と「不確実なバス」に振り回されて
二拠点生活で一番痛感したのは、「持ち運べないもの」の存在です。 仕事用のPCはやっぱり重い。自分のPCまで持ち歩く余裕はなく、夫の家ではiPadでできる限りの作業をこなす。そんな制約だらけの環境でした。
さらに追い打ちをかけたのが、夫の家の最寄り駅から出る「バス」の存在です。 渋滞や混雑で遅れるのは日常茶飯事。在宅ワークの開始時間に間に合わせるため、行動は常に30分前倒し。 「バスが遅れたらどうしよう」という不安から、自然と睡眠時間が削られ、冷え切った朝に移動しながら「あと30分寝られたな」と溜息をつくこともありました。
二拠点生活が教えてくれた「物の持ち方」の教訓
この生活の中で、最後まで悩まされたのが「どこまで物を買い足すか」という問題でした。 ずっと二拠点なら揃えればいいけれど、いつ終わるか分からない単身赴任。
「棚があったら便利だけど、自宅に戻った時に2つもいらないよね……」 「日用品なら持ち帰れるけど、大きなものは引越しの負担になるだけだし」
結局、不便を承知で「買わずに済ませたもの」もたくさんありました。今振り返れば、不便だったけれど、物を増やさなくて正解だったと感じています。
「いつか」ではなく「今」の快適さを選ぶための断捨離
私のバケットリストには「断捨離をして綺麗な家に住む」という項目があります。 夫が戻ってきたとき、二拠点生活で重複してしまったもの、そして「いつかまた使うかも」と迷うものは、思い切って手放そうと決めています。
いつ来るか分からない「次の単身赴任」のために場所を占領されるより、今、この瞬間をスッキリとした大好きな家で過ごしたい。 この4ヶ月の不便さを経験したからこそ、自分にとって「本当に必要な物の量」が、以前よりずっと明確になった気がします。
「持たない不便」が教えてくれた贅沢
自宅には当たり前にある便利な調理家電も、お気に入りのリラックススペースも、ここにはありません。でも、ないからこそ工夫が生まれました。 例えば、夫が作ってくれるお鍋。自宅なら『もっと副菜も作らなきゃ』と気負ってしまうけれど、ここでは『お鍋一つで十分幸せだね』と、シンプルであることの贅沢さを知りました。
効率か、それとも「今、この時」か
仕事終わりに夫の家へ向かうと、到着はどうしても遅くなります。そこから二人分のご飯を作って食べ、お風呂に入り……。気づけば、自宅での就寝時間を大幅に過ぎていることもしばしば。
正直、私は「交通費も時間ももったいないし、頻繁に行き来するのはやめたほうがいいのでは?」という現実的な考えを持っていました。 でも、夫は違いました。 「交通費も時間も気にしなくていい。休みなら一緒に過ごしたい」
最初は効率の悪さに戸惑いもありましたが、一人で寂しく休日を過ごすぐらいなら、たとえ睡眠時間が少し短くなっても、バスを待つ時間にヤキモキしても、夫の帰りを待つ時間を選んでよかった――今は、心からそう思えます。
「聴く読書」が支えた移動時間
往復2時間の移動、そしてジムでのトレーニング中。私の強い味方になってくれたのが、AmazonのAudible(オーディブル)でした。 バスや電車がスマホを触れないほど混雑していても、耳さえ空いていれば「読書」はできる。ジムで体を動かしている時も、移動中も、常に耳から情報をインプットする生活。
最近は、目で文字を追う「読む読書」よりも、圧倒的に「聴く読書」の時間が増えました。不便な移動時間を、学びの時間に強制的に置き換えられたのは、二拠点生活がくれた意外なメリットだったかもしれません。
移動の1時間は、自分と向き合う時間
往復2時間の移動。最初は『もったいない』とばかり思っていましたが、次第にその時間が貴重なインプットの時間に変わりました。 混雑するバスの中で揺られながら、次に書きたいブログのテーマを練ったり、Audibleで本を聴いたり。 『今の私、不便を使いこなせているかも』。そんな小さな自信が、日々の忙しさを支えてくれていた気がします。
「寝室」に全集中した、自宅での極寒サバイバル
一方で、夫の家から戻った後の自宅での生活は、なかなかにシビアでした(笑)。 わが家は暖房が効くまでに時間がかかる上、一人のために全館暖房をつけるのはもったいない……。
悩んだ末に私が出した結論は、**「すべての活動を寝室に集約する」**こと。 普段は「仕事の部屋」「リビング」「寝室」と使い分けていますが、寒い日は寝室にこもりきり。寝室にあるデスクで在宅ワークをし、そこで食事も済ませる。
リビングが寒すぎて、キッチンで凝った料理を作る意欲もわかず、「いかに短時間で準備して、温かい寝室に戻るか」というサバイバルな食生活を送っていました。
狭いからこそ保たれた、夫の家の「秩序」
対照的だったのが、夫の単身赴任先の部屋です。 狭い部屋なので、暖房を入れれば一瞬でポカポカ。でも、その狭さゆえに、物を出しっぱなしにすると一気に足の踏み場がなくなります。
「使ったら、すぐ片付ける」 これを徹底しないと生活が立ち行かない環境だったからこそ、多少物はありつつも、部屋はいつも意外なほど片付いていました。広い自宅だとついつい後回しにしてしまう片付けも、強制的に習慣化される。狭い部屋には狭い部屋なりの「暮らしの規律」があることを学びました。
狭いキッチンと、二人で囲んだ「お鍋」の記憶
夫の家のキッチンは決して広くはなく、複雑な料理を作るのは一苦労。でも、そんな限られた空間だからこそ生まれた、大切な思い出があります。
それは、夫がいつも作ってくれた**「お鍋」**です。 野菜を切って入れるだけで、寒い冬にぴったりなご馳走になる。後片付けもシンプルで、夫なりに「手軽に、でも二人でお腹いっぱい食べられるように」と考えて選んでくれたメニューでした。
実は私、一人暮らしの自宅ではお鍋をすることはありません。 一人だとどうしても同じ味が続いて飽きてしまうし、なんだか寂しい気がして。でも、夫と二人で囲むお鍋は、最後まで飽きることなく、心まで温めてくれました。
「狭いキッチンだからお鍋しか作れない」のではなく、「狭いキッチンでも、二人で美味しく食べられるお鍋がある」。 湯気の向こうで笑いながらお鍋を突っついた時間は、不便だったこの部屋での生活がくれた、最高のご褒美だったのだと思います。
不便さが教えてくれた「暮らしのサイズ」
この4ヶ月は、生活を維持するだけでも精一杯でした。 二つの家を行き来していると、ネットショッピングの受け取り場所一つとっても、「今、私はどっちの家にいる?」と数日先の居場所を計算しなければなりません。
でも、そんな不便さがあったからこそ、本当に必要な荷物の量や、自分が大切にしたい「時間の使い道」がはっきりと見えてきた気がします。
3月中旬、ようやく家が一つに
3月中旬、ようやく夫が自宅に戻ってきます。 もう、重いPCバッグを抱えてバスの時間を気にする必要もありません。
不便だったし、体力的にもハードだった二拠点生活。 でも、その不便さがあったからこそ、「当たり前に隣に誰かがいる日常」の尊さを、私たちは人一倍実感できました。
この部屋をピカピカに掃除して返す時、私はきっと「不便だったけれど、楽しかったね」と笑ってこの場所を卒業できるはず。 新生活では、削っていた睡眠時間を取り戻す以上に、もっと豊かな「二人の時間」を積み重ねていきたい。 ありがとう。そして、お疲れ様でした。
