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気づけば300記事を通り過ぎていた話。iPadとAIを相棒に、私が手に入れた「書くこと」の新しい自由

何食わぬ顔で通り過ぎていた、ちいさな記念日

日曜日の少し遅い朝。 お気に入りのマグカップに淹れたての温かいコーヒーを注ぎ、窓から差し込む柔らかな光を浴びながら、ふとブログの管理画面を開いてみました。

「あれ……? 記事の数が、300を超えてる」

画面に表示された数字を見て、思わず自分の目を疑いました。きっちり「300記事目!」という記念すべき瞬間は、どうやら数日前に何食わぬ顔で、ひっそりと通り過ぎていたようです(笑)。

普通なら「祝・300記事達成!」と大々的にアピールして、これまでの軌跡をきれいにまとめた記念の記事を書くべきタイミングなのかもしれません。でも、この「あ、気づいたら超えていたな」という、ちょっと抜けていて、どこか拍子抜けするような等身大の空気感こそが、今の私とブログの「ちょうどいい関係」を物語っている気がします。

今日は穏やかな日曜日。 せっかくの節目ですので、特別なノウハウや役立つライフハックではなく、私がここまでブログを続けてこられた理由と、最近の私の心に起きた「ある変化」について、少しお話しさせてください。

かつての私:「休日のパソコンの前」という、見えない義務感

もし、ブログを始めたばかりの数年前の私に、「これから300記事書くんだよ」と教えたら、きっと目を丸くして驚いたあとに、「絶対に無理!」と首を横に振っていたと思います。なぜなら、私はもともと、熱しやすく冷めやすい、自他ともに認める三日坊主のタイプだからです。

そんな私がここまで書き続けてこられた最大の理由は、とにかく「ブログを義務にしないこと」でした。

以前の私は、ブログを書くことを「休日の特別なタスク」のように捉えていました。 平日は旅行会社での仕事が忙しく、日々のタスクをこなすだけで精一杯。そのため、ブログを書く時間は「お休みの日だけ」と厳しくルールを決めていたのです。

けれど、いざ休日になり、重い腰を上げてノートパソコンの前に座っても、なかなか思うように筆が進みません。 「せっかくの休みだし、何かいいことを書かなきゃ」 「読んでくれた人が、なるほどと思ってくれるような構成にしなきゃ」

そんな風に自分で自分にプレッシャーをかけてしまうあまり、真っ白な執筆画面を見つめたまま時間だけが過ぎていくこともよくありました。せっかくの楽しい趣味のはずなのに、どこか「やらなければいけない宿題」のようになってしまい、少しだけ心が重たくなる日もあったのです。

「旅行が好きだから、その魅力を伝えたい」と思って始めたブログなのに、書くこと自体が義務になってしまっては本末転倒ですよね。

iPadと隙間時間。暮らしにブログが溶け込み始めた

そんな私のブログライフに、少し前から大きな変化が訪れました。 そのきっかけは、執筆のスタイルを「休日にデスクでパソコンを開く」から、「日々のちょっとした隙間時間にiPadで書く」に変えたことでした。

これが、想像以上に私の心を軽くしてくれたのです。

iPadの良さは、なんといってもその「圧倒的な軽やかさ」と「起動のスピーチさ」にあります。 平日の仕事の通勤途中、ふと頭をよぎった言葉。 ジムでのワークアウトを終えて一息ついているときに、ふと湧き上がってきたアイデア。 旅先のお気に入りのカフェで、窓の外を眺めながら感じた空気。

そんな「心が動いた瞬間」を逃さず、カバンからiPadをサッと取り出して、ノートにメモを取るような感覚で言葉を紡いでいく。 「さあ、今からブログを書くぞ!」と身構える必要はありません。キーボードをパチっと繋いで、ほんの10分や15分の隙間時間に、心の中にあるモヤモヤやときめきをそのまま文字として落とし込んでいく。

この、デジタルでありながら万年筆と手帳を持ち歩いているような「ラフな感覚」を取り入れてから、ブログは私の生活の中に、驚くほど自然に溶け込んでいきました。お休みの日だけのご馳走ではなく、毎日少しずつ味わう普段のご飯のようになっていったのです。

頼もしい相棒「AI」との出会い、そして新しい自分

そして、この「書くことの軽やかさ」をもう一歩、力強く後押ししてくれているのが、最近取り入れ始めた「AI」という新しい相棒の存在です。

正直に言うと、最初は少し抵抗がありました。 「AIを使って文章を書くなんて、それは自分のブログと言えるのだろうか」 「なんだか冷たい、機械的な文章になってしまうんじゃないか」

そんな風に、どこか頑なになって避けていた部分がありました。けれど、実際に使ってみて、それは大きな誤解だったと気づかされたのです。

私にとってのAIは、私の代わりに文章を書いてくれる代筆屋さんではありません。 私の頭の中にある、まとまりのない、ごちゃごちゃとした「書きたいことの原石」を一緒に整理してくれる、一番身近な編集者であり、話し相手なのです。

「今、こんな気持ちで、こんなテーマで書きたいんだけど、どう組み立てたら読みやすくなるかな?」 「ちょっと日記みたいに感情的になりすぎちゃったから、客観的に読めるようにアドバイスをくれない?」

そうやって、まるで気心の知れた友人とカフェでアイディアを出し合う(壁打ちをする)ように、AIとキャッチボールを繰り返す。 すると、自分一人では「どう表現したらいいか分からない」と立ち止まっていた霧が晴れるように、すっきりとした構成や、より伝わりやすい表現が見えてくるようになりました。

AIという頼もしい相棒がいてくれるからこそ、以前のように「うまく書けるかな」という不安で立ち止まる時間がなくなり、何より「書くことそのもの」をピュアに楽しめる心の余白が生まれたのです。

「まだ、読んでもらえるような記事ではないけれど」の先へ

「でも、私のブログなんて、まだまだ誰かに読んでもらえるような立派な記事ではないんです……」

ふとした瞬間に、そんな弱気な気持ちが顔を出すこともあります。 世の中のプロの旅ブロガーやインフルエンサーのように、思わずため息が出るような美しい写真で埋め尽くされているわけでも、完璧に整理された有益な旅行ルートを紹介できているわけでもありません。日々の中で迷ったり、悩んだりしている等身大な私の独り言のような記事もたくさんあります。

けれど、今回300記事という数字を前にして、過去の記事を少しだけ読み返してみました。

そこには、 初めての場所で緊張しながら、それでも現地の食べ物の美味しさに感動した日のこと。 夫の出張に便乗して、バタバタしながらも笑顔で過ごした旅の思い出。 「やっぱり自分が旅行に行くのが大好きなんだ」と、キャリアの現実に直面しながらも自分の本心に気づけた日の葛藤。

それらの文字を追っていると、その時の街の匂いや、吹いていた風の冷たさ、隣にいた夫の笑い声が、驚くほど鮮明に、温度を持って蘇ってきたのです。

「あぁ、このブログは、誰かのためだけにあるんじゃない。私自身の人生の、愛おしい瞬間を詰め込んだ、世界にひとつだけの『宝箱』なんだ」

そう気づいたとき、肩の力がすーっと抜けていくのが分かりました。 誰かの目を気にして完璧な記事を目指す必要なんてない。有益な情報じゃなくてもいい。私自身が「楽しかった」「残しておきたい」と思った軌跡がここに刻まれていること自体が、もうすでに十分すぎるほどの価値を持っているのです。

これからも、マイペースに紡ぐ私の世界

300記事という数字は、私にとって大きなゴールではありません。 これからも私の日常は続いていきます。

平日は旅行会社でしっかりと働き、 週末には、またiPadをカバンに忍ばせて、大切な人と旅に出て。 旅先で、あるいはいつもの暮らしの中で、「あ、この瞬間を言葉にしたいな」と心が動いたときに、そっとiPadを広げる。

これからも、AIという心強い相棒に「ちょっと聞いてよ」と語りかけるようにアイデアを相談しながら、気負わずに、等身大の言葉でこの場所を温めていきたいと思っています。

そうして私が楽しみながら書き続けていくうちに、いつかどこかの誰かが、この私の小さな宝箱のようなブログにふらっと立ち寄り、 「あ、なんかいいな」 「ちょっと共感できるな」 と、温かい紅茶を飲んだときのような、ホッとした気持ちになってもらえたら……これほど嬉しいことはありません。

いつも遊びに来てくださる方も、たまたま今日通りすがってこの記事を目にしてくださった方も、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

300記事という通過点を軽やかに越えて、これからも私らしいペースで、ゆっくりと歩んでいきます。 どうぞ、皆さんも素敵な日曜日をお過ごしください。またいつでも、ふらっと遊びにきてくださいね。