8月の終わりに、夫の手術が決まりました。
「そんなに難しい手術でもないし、家族への説明とかも特にないから大丈夫だよ」
夫はそう言って、いつものように軽く笑っていました。実際のところ、命に関わるような複雑な手術でもないし、先生から家族へわざわざ説明が必要なレベルでもありません。
それなのに、「麻酔もかけてやるみたい」という言葉を聞いた瞬間、私の心はどこかドクンと嫌な跳ね方をして、一瞬「え?」とフリーズしてしまったのを覚えています。
誰にとっても、大切な家族が手術を受けるというのは、たとえそれがどんなに簡単なものや小さなものであったとしてもドキッとするものです。ましてや初めての経験となればなおさらで、胸の奥がキュッと締め付けられるような緊張感と不安が込み上げてきます。
「難しい手術じゃないんだから」と自分を納得させようとすればするほど、「でも麻酔って大丈夫かな…」「万が一があったらどうしよう」なんて、普段なら考えもしないような余計な心配が次々と頭をよぎってしまうのです。
8月末のその日、私は仕事を休んだ方がいいのだろうか。 病院の近くにいてあげるべきなのか、それともいつも通り仕事に行くべきなのか。 そんなグルグルとした迷いと一緒に、私はここ最近の自分たちの過ごし方について、深く深く考え込んでしまいました。
「いつでも会える」という安心感に甘えていた日々
今まで、夫と過ごしてきた毎日のこと。 朝起きて「おはよう」と言い、それぞれ仕事に向かい、夜には家に帰ってきて「おかえり」と言いながら一緒に温かい夜ご飯を食べる。
週末になれば一緒に買い物に行ったり、ソファで並んでくだらないYouTubeを観て笑い合ったりする。
そんな日常を、私はどこかで完全に「当たり前」だと思って過ごしていました。
当たり前のように明日はやってくるし、当たり前のように来週も来年も、夫は私の隣にいてくれる。そう信じて疑っていませんでした。
だからこそ、時には自分の不機嫌をそのままぶつけて喧嘩をしてしまったこともありました。疲れているからと適当な生返事をしてしまったり、せっかく同じ部屋にいるのにスマートフォンの画面ばかり見てしまったり。
「だって、これからもずっと一緒にいるんだから」 「いつでも会えるんだから」
そんな甘えと油断が、私の中にずっとありました。安心しすぎていたからこそ、夫との「今この瞬間」の時間を、本当の意味で大切にできていなかったのかもしれません。
崩れていった「いつもの日常」
でも、ここ最近の我が家は、その「当たり前」が少しずつ、けれど確実に形を変えていました。
先週、夫は仕事で出張に行っていました。 そして今週は、午後からの勤務。 いつもなら「今日もお疲れ様」と言いながら一緒に食べていた夜ご飯を、私は今、静かな部屋で一人で食べています。
夫の帰りは夜遅くになります。 私が帰りを待っていようとすると、夫は「明日のお仕事に影響しちゃうと申し訳ないから、先に寝ててね」と言ってくれます。
私を気遣ってくれる夫の優しさはすごく伝わってくるし、本当にありがたいなと思います。でも、一人で電気を消して布団に入るとき、胸の奥に小さな寂しさがポツンと残るのを隠せませんでした。
さらに来週は、夫が夜勤のシフトに入ります。 朝、夫が家にいる時間帯に少しだけ顔を合わせることはできるけれど、基本的には同じ家に住んでいても生活の時間がすれ違ってしまう日々。
私は日中に仕事をして、夫は昼間に眠り、夜になると仕事へと出かけていく。 「同じ屋根の下に住んでいるのに、家の中でこんなにも会えないものなんだな」と、つくづく実感しました。
世の中の多くの人は、朝起きて出勤し、夜に帰宅するという生活リズムで動いていると思います。そのリズムが夫婦で揃っていれば、たとえ多少時間がズレたとしても、家で顔を合わせて話す時間をどこかで作ることができます。
でも、根本的な生活リズムが真逆になってしまうと、家にいることすらお互いにとって「すれ違い」になってしまう。
よく考えてみたら、先週の出張から始まって、我が家はもう3週間近く「いつものリズム」ではない日々が続いていました。
静まり返った家の中で、一人パソコンに向かいながら
今、私は夫がいない静かな家で、一人でこの文章を書いています。
普段、夫が家にいるときは、二人で一緒にYouTubeを観たり、何気ない話をしたりしていて、ブログを書く時間をなかなか作れないことも多くあります。
だから、こうして夫がいない時間は、ある意味でじっくりブログと向き合える貴重な時間であり、良いことでもあるはずなのです。
それなのに、ふとキーボードを打つ手を止めると、部屋の静けさが急に押し寄せてきます。
「私は今、夫がいない寂しさを誤魔化すために、必死でブログを書いているのかな……」
そんな思いが頭をよぎりました。一人で自由に使える時間が増えたはずなのに、心は少しも晴れません。やっぱり、夫のいない家はどこか寒々しくて、寂しいのです。
一人で過ごす夜は、ご飯を作る気分にもなれません。 自分一人のために野菜を切ったり鍋を使ったりするのが急に面倒くさくなってしまって、結局スーパーで買ってきたお惣菜や弁当で済ませてしまう。
誰かと「これ美味しいね」「今日こんなことがあったよ」と言い合いながら食べるご飯と、静かな部屋で黙々と食べる一人のお惣菜。同じ食事でも、味の感じ方までこんなに違うものなのだと思い知らされます。
「私って、こんなに寂しがり屋だったっけ?」
日中の仕事も在宅ワークのことが多いため、部屋で誰とも声を交わさないまま一日が終わってしまうこともあります。
出勤した日であっても、職場で交わすのは「おはようございます」「お疲れ様です」といった最低限の挨拶や仕事の業務連絡だけ。それぞれの作業に没頭しているため、心を許した雑談なんてほとんどしません。
ふと、「今日、私まともに誰とも話してないな」と気づく瞬間があります。 その瞬間に襲ってくる孤独感は、思っていた以上に体にこたえました。
そんな自分に気づいて、ふと不思議な感覚になりました。
「なんか、すごく寂しいな……」 「私って、こんなに寂しがり屋だったっけ?」
独身の頃の私は、一人でどこへでも行けるタイプでした。一人で買い物に行くのも、一人でご飯を食べるのも、一人で旅に出るのすら平気で、「寂しい」なんて感情を抱くことは滅多にありませんでした。誰かに依存することもなく、自分一人の時間を気ままに楽しめる人間だと思っていたのです。
それなのに、なぜ今、こんなにも寂しいと感じているのだろう。
それはきっと、夫と出会い、一緒に生活を始めてから、私の「当たり前」が変わったからなのだと思います。
一人でいることが当たり前だった頃は、寂しさを感じる隙間すらありませんでした。勝手知ったる一人暮らしと、大切なパートナーがいる生活はやっぱり違う。心が心から安心できる場所を見つけたからこそ、そこから夫の存在がぽっかりと抜けた今、猛烈な寂しさを感じるようになったのです。
寂しがり屋になったのではなく、それだけ夫という存在が、私の人生の中で大きくなっていたのだと気づかされました。
当たり前は、奇跡の積み重ねだった
夫の手術が決まったこと。 この3週間で突きつけられた生活リズムのズレ。 そして、一人きりの部屋で実感した深い寂しさ。
決して難しい手術ではないし、大げさに騒ぐようなことではないのかもしれません。でも、これらが重なったことで、私はようやく、今まで見落としていた大切なことに気がつくことができました。
「今まで私が『当たり前』だと思っていた毎日は、実は何ひとつ当たり前なんかじゃなかった」ということです。
朝起きて、大切な人が隣にいて、「おはよう」と言い合えること。 同じ時間に同じ食卓を囲んで、たわいもない話で笑い合えること。 夜、同じ部屋で安心して眠りにつけること。
それは決して「永遠に保証された日常」などではなく、お互いの健康や、お互いの仕事のスケジュールや、世の中の無数のタイミングがたまたまピッタリ噛み合っていたからこそ成り立っていた、奇跡のような時間だったのだと。
普段の生活の中には、あまりにもたくさんの「当たり前」があふれています。 「いつも通りだから」「明日もこうだから」と、感謝もせずに通り過ぎてしまうことがたくさんあります。
でも、人間の命も、大切な人と一緒に過ごせる時間も、永遠ではありません。 これから私たち夫婦が何歳まで生きるのか、あとどれくらいの時間を一緒に笑って過ごせるのか、本当のところは誰にもわかりません。
「いつでも会えるからいいや」なんていう甘えは、ある日突然、予期せぬ出来事や環境の変化によって一瞬で崩れ去ってしまうかもしれないのです。
あなたの隣にある「当たり前」を、どうか大切にしてほしい
私は、誰かに偉そうにアドバイスできるような立場の人間ではありません。 私自身、今回ご主人の手術というきっかけや、生活リズムの変化がなかったら、きっと今でも「当たり前」の毎日に甘えて、時間を雑に使ってしまっていたと思います。
一人でどこでも行けたはずの自分が、夫のいない部屋でこんなにも寂しがっているなんて、自分でも呆れてしまうくらいです。
でも、だからこそ、今この記事を読んでくださっているあなたに伝えたいのです。
今、あなたの隣にいる家族や、パートナーや、大切な人。 毎日交わしている「いってらっしゃい」「おかえり」という言葉。 一緒に囲む食卓や、一緒にテレビを観て笑う何気ない時間。
それらはすべて、いつ終わりが来るかわからない、とてもとても愛おしくて貴重な時間です。
「いつか大切にしよう」ではなく、「今この瞬間」を大切にしてほしい。 当たり前を当たり前だと思わず、一秒一秒を噛みしめるように過ごしてほしいと思うのです。
私自身、今週は夫が午後からの仕事なので、家で顔を合わせてじっくり話せる時間は少ないかもしれません。一人で食べるスーパーのお惣菜も、寂しい夜も、もう少し続くでしょう。
けれど、今日からは、ほんの少しすれ違う一瞬の時間であったとしても、夫と過ごせる時間を心から大切にしたいと思っています。
遅くに帰ってきたら、優しい笑顔で「おかえりなさい」と言いたい。 出かける時には、「いってらっしゃい、気をつけてね」と心を込めて見送りたい。
8月末の手術が無事に終わって、またいつもの生活リズムに戻れたとき、私はきっと、これまで以上に「いつもの日常」を愛おしく感じられるようになっている気がします。
今、目の前にある「当たり前」の毎日を、どうぞ大切に抱きしめて過ごしてくださいね。
