もうすぐ誕生日。34歳という年齢を前にして思うこと
カレンダーをめくると、8月も残すところあとわずかとなりました。 猛暑が続いた夏も少しずつ終わりへと向かい、朝晩の風にほんの少しだけ季節の移り変わりを感じるこの時期。そして、この約1週間後、私はまたひとつ歳を重ねて「34歳」を迎えます。
毎年この時期になると必ず思うことではありますが、それにしても1年が過ぎ去るスピードが年々加速しているように感じてなりません。小学生や中学生の頃、1学期や夏休みはもっと途方もなく長かったはずなのに、大人になってからの1年は、まるで瞬きをしている間に駆け抜けていくような感覚があります。
20代前半の頃、自分が思い描いていた「30代半ばの女性」といえば、もっと精神的にも大人びていて、落ち着きがあり、自分の人生のレールがどっしりと定まっているようなイメージを抱いていました。仕事も私生活もスマートにこなし、迷いなく歩んでいるような大人の姿です。
でも、実際にその年齢の足音がすぐそこまで聞こえてくると、自分自身の内面は20代の頃とちっとも変わっていないことに驚かされます。まだまだ悩みも迷いもあるし、些細なことで不安になることもある。精神的な中身はそのままなのに、ただ数字と時の流れだけが猛スピードで背中を追い越していくような、なんとも言えない不思議な焦燥感に包まれていました。
「またひとつ歳をとるんだな」とぼんやり考えながら、ふと「そういえば、去年の誕生日って何をして過ごしたっけ?」と、スマホの写真フォルダを遡ってみることにしたのです。
写真を見ても思い出せない?消えかけた記憶と「物忘れ」への不安
スマホの画面を指先でスクロールし、1年前の去年の誕生日の日付を開いてみました。 そこには、綺麗なお花のブーケと、ホールケーキの写真が残されていました。仕事帰りに夫が選んで買ってきてくれた、とても温かいプレゼントの写真です。
「ケーキとお花をもらったのは、確かに覚えている。美味しかったし、嬉しかったな……」
そこまでは思い出せるのですが、その前後に自分が何をしていたのか、日中どこかに出かけたのか、夜は何を食べたのかが、どうしても思い出せません。 頭の中の引き出しをどれだけ引っ張っても、真っ白な霧がかかったように記憶がすっぽりと抜け落ちているのです。
「え、私、本当にどこにも行かなかったんだっけ?何を食べてお祝いしたんだっけ……?」
最近、仕事や日常生活の中でも「あれ、さっき何しようとしてたんだっけ?」「あの人の名前、何だっけ?」という些細な物忘れが増えていて、時々「私、何か頭の病気なんじゃないか……?」と本気で不安になる瞬間がありました。今回の誕生日の記憶の欠落も、まさにその恐怖を煽るような出来事でした。
不安に駆られながら、何か手掛かりはないかと、夫とのLINEのトーク履歴を1年前まで遡って検索してみました。日付を「去年の誕生日」に合わせてトークを読み進めていくと、メッセージのやり取りでようやく真実が判明したのです。
「品川でディナーを食べていた」
メッセージの文字を見た瞬間、「あ!そうだった!」と頭の中でカチリと音を立てて記憶がつながりました。 そこは、我が家が記念日や特別な日にときどき利用する、とてもお気に入りの素敵なお店でした。運ばれてきた料理が本当に美味しくて、夫と会話を楽しみながら食べることに夢中になるあまり、料理の写真も店内の写真も1枚も撮らずに過ごしていたのです。
「一昨年の静岡旅行」は鮮明に覚えているのに、なぜ?
記憶が蘇って「病気じゃなかったんだ」とホッとしたのも束の間、今度は胸の奥にじんわりとした切なさと寂しさが広がっていきました。 あんなに美味しくて素敵なお店で幸せな時間を過ごしたはずなのに、たった1年で綺麗さっぱり忘れてしまっていたという事実にショックを受けたのです。
なぜ、そんなに簡単に忘れてしまったんだろう? そう考えて思い返してみると、一昨年の誕生日のことは、今でも昨日のことのように鮮明に覚えていることに気づきました。
一昨年の誕生日は、夫と一緒に静岡へ旅行に行きました。 目的地は、ずっと泊まってみたいと憧れ続けていた「焼津グランドホテル」です。 ロビーに入った瞬間に目の前に広がった駿河湾の圧倒的な青い絶景、オールインクルーシブのラウンジで贅沢なドリンクを片手に海を眺めた時間、露天風呂の温泉に浸かりながら旅の開放感を味わったこと、夕食で美味しい海の幸を堪能したこと……。あの特別な空間で五感を使って味わった体験は、何年経っても色あせることなく、心の中にありありと映像として残っています。
では、なぜ一昨年の旅行はここまで鮮明に覚えているのに、去年のディナーは記憶からこぼれ落ちそうになっていたのか。 その理由は、とてもシンプルでした。
品川のお店は、我が家にとって「特別なお店」だったはずなのに、実はその前後も含めて1年間に2〜3回ほど訪れていたのです。 年に何度も通ううちに、その素晴らしい空間や美味しいお料理が、自分の中で少しずつ「日常の延長線上にあるもの」として脳に処理されてしまっていたのだと思います。
人間は、「いつもと違う体験(強烈な非日常)」を伴わないと、あっという間に記憶を上書きして忘れてしまう生き物なのだと痛感しました。写真を撮って記録に残すことも大切ですが、何より「普段はやらない特別なこと」というアクセントがないと、どんなに贅沢で幸せな時間であっても、日々の生活の波の中に溶けて消えていってしまうのだと学びました。
ルーティンに埋もれる日々。「こんな1日だった」と語れる日がない切なさ
誕生日が近づいてくると、嫌でも「この1年、自分はどう過ごしてきただろう?」「何か成長できただろうか?」と振り返る時間が増えます。
もちろん、新しい経験や、楽しかったお出かけ、大切な思い出もたくさんありました。 けれど、それ以上に圧倒的な割合を占めているのは、「思い出せない日常」です。
朝決まった時間に起きて、仕事をして、お昼ご飯を食べて、午後もまた仕事をして、定時になったら業務を終えて、スーパーに寄って夜ご飯を作り、二人で食べて、お風呂に入って、スマホを見て寝る。 月曜日から金曜日まで、寸分の狂いもなく決められたルーティンを淡々とこなしていく日々。
大好きな夫といつも一緒に生活していて、隣で穏やかに過ごしているはずなのに、「先週、どんな会話をして笑い合ったっけ?」「先月の今頃、何を話していたっけ?」と聞かれたら、具体的な言葉がすぐには出てこない。 仕事で嫌なことがあった日、トラブルに頭を抱えて落ち込んだ日、「こんな日、来なければよかったのに」と涙が出そうになった日だって、自分の人生にとっては二度と戻らないかけがえのない1日のはずです。
なのに、最近の私は「今日はこんな1日だった!」と誰かに語れるような日を、一体どれくらい過ごせただろう?と立ち止まってしまいました。 何事もなく平和で健康に暮らせていることは、何物にも代えがたい幸せです。けれど、ただ毎日決められたことだけをこなして、スケジュール帳を埋めるように時間を消費していくだけでいいのだろうか……。そんなモヤモヤとした葛藤が、胸の奥で静かに渦巻いていました。
バケットリストと誕生日。今年できる「小さな非日常」の作戦会議
せっかく「生きているうちにやりたいこと」を書き留めたバケットリスト(やりたいことリスト)があるのだから、ちょっとお金がかかりそうな贅沢な体験や、ずっと行ってみたかった場所へ行く計画を、誕生日に合わせて叶えていくのは、記憶に残すための最高の過ごし方だと思います。一昨年の焼津グランドホテルのように。
ただ、今年の誕生日に関しては、色々な現実的な事情が重なっていて、大きな旅行や遠出を計画するのは難しそうです。
誕生日の当日の平日は、私はお休みなのですが夫は仕事のため、昼間は「完全なるひとり時間」。 その週の週末は夫婦で休みが合いますが、週末の旅行はどこに行っても料金が高く、混雑も避けられません。
さらに何より大きな理由は、誕生日のちょうど1週間前に、夫が手術を受ける予定が入っていることです。 本人は「翌日からは普通に仕事に行くよ」と言ってくれていますが、やはり家族としては身体のことが一番心配ですし、術後すぐに遠出の予約を入れるわけにはいきません。
「それなら、今年はお金をかけず、遠くへも行かずに、どうやって記憶に残る『非日常』を作ろうか?」
遠出ができなくても、工夫次第で新しい記憶を刻むことはできるはずです。
- 平日のひとり時間:普段は行かないようなちょっと贅沢なモーニングを一人で食べに行く
- 平日のひとり時間:時間を気にせず、お気に入りのカフェで読書やブログに没頭する
- 週末の夫婦時間:夫の身体に優しくて、見た目も華やかな特別なごちそうをお家で作る
- 週末の夫婦時間:ずっと気になっていた映画を部屋を暗くして一緒に観る
- ノートを開いて、これからのライフプランや資産形成、34歳の目標をじっくり書き出す
豪華な旅行には行けなくても、こうした「小さな非日常」や「いつもと違う選択」を仕掛けるだけで、今年の34歳の誕生日はきっと温かい記憶として残るはずです。夫の回復を一番に寄り添いながら、今年ならではの特別な時間にしようと計画しています。
「翌日には日常に戻る」切なさを抱きしめて、1日1日を大切にしたい
毎年、誕生日の当日は「よし、この新しい1年は特別な年にするぞ!」「新しいことに挑戦して、去年よりも充実させよう!」と心の中で強く決意します。
なのに、翌朝アラームが鳴って目が覚めると、そこにはいつも通りの仕事と家事が待っていて、一瞬でいつもの日常に引き戻されてしまう。 「あれだけ気合を入れたのに、たった1日で元の生活に戻っちゃったな……」と、なんだか情けないような、少し寂しい気持ちになるのが毎年の恒例でした。
でも、よく考えてみれば、誕生日というたった1日だけで1年365日すべてを劇的に変えるなんて、そもそも無理な話なんですよね。 毎日決められたことをきちんとこなせるのは、目の前の仕事や日々の暮らしに誠実に向き合って生きている証拠です。日常という揺るぎない土台があるからこそ、たまに訪れる特別な日がキラキラと輝くのだと思います。
だからこそ34歳の1年は、誕生日当日に壮大な目標を立てて満足するのをやめて、日々のルーティンの中に「小さな非日常」や「意識的な心の動き」を散りばめていきたいのです。
夫との他愛ない会話にちゃんと耳を傾けてクスッと笑ったり、仕事の帰り道にふと足を止めて夕焼けのグラデーションを見上げたり、いつもと違うルートを歩いてみたり。 「なんでもない日」を大切に愛おしみながら、自分の手でじわじわと特別な1年に育てていけたらいいなと思っています。
まとめ:34歳、新しい記憶をひとつずつ刻んでいく
34歳になる瞬間は、誰にとっても人生の長い道のりの中の、ひとつの通過点に過ぎません。
でも、去年のように「気づいたら過ぎていて思い出せない」なんてことにならないよう、今年は今年なりのペースで、小さくても「新しいワクワク」を自分で仕掛けてみたいと思います。
平日のひとり時間をどう過ごしたか、夫の手術後の様子や、どんな34歳の幕開けになったのかは、誕生日を過ぎた頃にまたブログでご報告しますね。
みなさんは、日々のルーティンの中で、大切な思い出や会話を記憶に残すためにどんな工夫をしていますか?
